あけましておめでとうございます。
福島は大雪に見舞われた新年の幕開けとなりました。
近年にない程の積雪で、頼りの薪ストーブの薪小屋との導線を塞がれ、石油ストーブ3台で寒さを凌いでいます。
コロナも収束しそうでしなそうもないまヽ新年を迎えましたが、皆様は一年の計は決まりましたか。
コロナ禍がこれ程永く続いていると、何処に目標を定めてら良いのか迷ってしまいます。
昨年12月に毎年行われるある朗読会に「幸福」と云うタイトルがありました。
誰しもが求める〝しあわせ〟はそれぞれの環境で尺度が違うのではないだろうかと、考えさせられました。
生まれ乍らにして幸せな環境に置かれた人はそれが当たり前で、特別幸せとは感じないのではないか。とか、どん底を味わった人は努力して、ちょっとの光りが見えただけで〝シアワセ〟と感じる事でしょう。
しかし、人は欲のかたまりと云うように、更に自分の幸せだけを追い求めてしまいがちです。
もしかして、誰かを犠牲ににして成り立っている〝しあわせ〟であるかも知れません。
真の幸せとは、利己的なものではなく、利他的に人の幸せを優先し、それを見て幸せを感じる。
〝そんな神様みたいなこと! 〟と思うかも知れませんが、そういう人に神様は〝しあわせ〟の光りを注いでくれると云われます。
神様は見ています。
「今年もよろしくお願いします」
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