3月中旬に体調を崩され、聖路加国際病院に入院されましたが、療養するのであれば是非ともわが家でとの強い先生の希望で、一週間後にはご自宅に戻られ、家族の配慮で庭がきれいに整備され、色とりどりの花や美しい緑が眺められる、リビングの大きな一枚ガラスの窓の前にベットが配置され、時には車椅子で移動して随筆をしたり、来客のお相手をされていた様です。
91歳から朝日新聞に週一回、「あるがまゝに行く」と云うエッセイを掲載されて今日まで沢山読ませて頂きました。
平成17年(94歳)には文化勲章を受章された時のエッセイには、日本の医学校の教育課程を一新し、看護師は医師の診療業務の補助をするよりも、医師のパートナーとして働ける様に格上げしたい。
その目的を達成するためには、100歳以上も長生きしないといけないと書かれていました。
日野原 重明先生 |
そして長年続けてこられた子供達への「命の授業」。ミュージカル。
最後のエッセイが7月29日に掲載され、聖路加国際病院は先生の心の故郷。
関わって下さった大勢の皆様への感謝と共に最後のお別れをしたいと思います。
本当にありがとうございました。
これで私からのメッセージを終わりにします。との最後の言葉でした。
御冥福をお祈り申し上げます。
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