2018年4月30日月曜日

〝まんさく花 ♪ だより〟2018年 水無月

気温40度、湿度80%のベトナム研修から帰国して成田空港に着いたら、気温16度と、何と爽やかなこと。

日本は何処よりも清潔で安心な国と実感させられる。

発展途上の国ベトナムは、日本では考えられない交通事情で、朝の通勤時は道路が見えない位バイクで埋め尽くされている。

朝のラッシュ時
一台のバイクに4人も乗っていて、その内の40%は無免許であるとか。
一番前の子供はスマホで通話中


牛までも運ぶ
クラクションを鳴らしながら、すり抜けていくバスの運転手さんの腕は凄い。

観光地では物売りがつきまといボ~ッとしていると狙われる。

子供も加わって
ベトナムでは20代・30代が全人口の80%と若者の多い国で、これからどんどん進化して行くであろうと思われます。

50年前の日本がそうであった様に、2世代・3世代の同居はあたり前で老人ホームはないとのこと。

3世代同居住宅
あの頃からの日本の進化は目覚ましいもので、40~50年前にはとても想像出来なかった生活が当たり前の様に営まれている。

3~4才位の子供までがオモチャを扱う様にスマホで遊び、ブルーライトを浴びている。

先日の新聞のコラムに、ある骨董店で大学生らしき青年が黒電話と格闘している様をみて、店主が〝その穴に指を入れてまわしてごらんょ!〟と助け舟を出したら穴に指を入れて、その指をクルクルまわし、諦めて帰って行った。

50年後にはスマホも骨董品になってスマホと格闘する若者が現れるのだろうか?と・・・



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2018年4月1日日曜日

〝まんさく花 ♪ だより〟2018年 卯月

波瀾万丈、いろいろな思いで人生を歩んで来た夫が、何とか落ち着いて生活ができる様になったのは沢山の方々との出会いがあってこそ。

これからは恩返しの人生にしようと、資金を貯めてホームページを開設し、ネットショップを立ち上げ、利益の一部を未来の子供達を支援するための資金になればと、僅少乍ら県内はもとより各地に寄付をさせて頂いて10年になる。

ネットショップは、福島県の特産品で、米・味噌・季節の果物(サクランボ、桃、梨、リンゴ、あんぽ柿)ほずきジャム・蜂蜜・温泉卵・陶器(相馬焼、先達窯)福島県産ではないけれど老舗の【カフェ】こだわりコーヒー豆、粉・その他リクエストで様々な物を扱っている。


桃(あかつき)
在庫の必要がなく、注文は同時に携帯電話と連動しているので旅先からでも受けることが出来るのでとても便利。

10年前はネットショップと云うと胡散臭い目で見られ、生産者は商品を出し渋るためすべて現金、又は前金での取引条件に出し、現在もそれを崩さずに続けている。

お陰様で殆どが全国各地からのリピーターの方々で、御礼に畑【吾妻の雪うさぎ】を借りて作っている無農薬の野菜を送ったりして喜ばれています。

畑の様子
無農薬野菜

そこには顔も見たことのない方達との交流も生まれ、時にはご当地の珍しい食べ物を送って下さったりと、人との温かいつながりを感じています。

21世紀を担う子供たちのために、今後とも続けて行くことでしょう。

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2018年2月28日水曜日

〝まんさく花 ♪ だより〟2018年 弥生

不覚にもインフルインザB型に罹ってしまいました。

80才最後のおみやげを持たされたか!と思いつつ、咳との戦いが一週間。

自分の免疫低下に止めをさゝれた。

少し快方に向かうと退屈になり本をひらくと、ある作家のコラムが目に入り、毎月、福祉施設に5,000円のお金を35年間、名を伏せて贈り続けた人のことが書かれていました。

その人は8畳一間の木造のアパートに住み、新聞配達をしている70才の女性で頑なに取材を拒んだとのこと。

その人は2才の時、母親が病死したため施設に預けられいじめにあう。

中学を出て働き20才の時に職場結婚、3人の女の子に恵まれたが30才の時に夫は結核で死亡。

その後、道端で子供を遊ばせ乍ら、リヤカーを店にしてネクタイを売っていたが一日1本位しか売れない。


ある日、中年の女性が「これタイ焼き、子供さんに」と差し出され涙がほとばしった。

雪の日、空腹と寒さで子供達が泣きわめいている時、初老の紳士が来て、ネクタイを2本買ってくれた。

とても安物のネクタイを身につける人とは思えなかった。

一言も喋らずおつりも受けとらず去って行った。

間もなく彼女は疲労で倒れ、市役所に医療費の助成を頼んだが断られ、職員が自分の牛乳を1本持たせてくれて『〝力〟不足でゴメンネ』とあやまった。

上の子が高校生になり、夜は食堂で皿洗いのアルバイトをして、2人の妹の世話をし、彼女はネクタイ売りをやめて、新聞配達を始めた。

ある新聞で施設が経営困難と知り、即、5,000円を贈った。

家族4人の生活は苦しかったが、自分を助けてくれた人々を思うと苦しいなんて云っていられず毎月贈り続けてと云う。

〝私は昔、ある人からタイ焼きを頂いたとき決心したんです。ひとつの手は自分と家族のため、もうひとつの手は人様のために使おうと。
光 玉 光の玉 プレゼント 手 両手 手のひら 掌 女性 女 指 手

表彰するなら、牛乳をくれた人やネクタイを買ってくれた人を表彰して下さい〟と固く辞退されたとのこと。

考えてみました。

もしも、ブランド物を身につけてそれをステータスとしている人が全部とり払った時、心の豊かさは両者のどちらが輝くものか・・・・・・・・・・・  人の生き方はそれぞれですね。


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2018年2月10日土曜日

〝まんさく花 ♪ だより〟2018年 如月

日中でも軒下の氷柱から滴も落ちないほどの氷点下の気温。
氷柱
日本中が、いや世界中、宇宙全体がい異常気象に晒され、自然破壊に気をつけよ!とのパッシングを無視して、便利さのみ追求して来た結果、神様の怒りが爆発したのではないかと私、個人的に思います。

かと云って昔の生活に戻るのは至難のわざ。

以前、〝便利と危険は手をつないでやってくる〟と話された【引地 ユリ 先生】の言葉を改めて思い出します。

昔、子供の頃は隙間から雪が吹き込む様な家が当たり前で、ひとつのコタツを皆で囲んで兄弟喧嘩をし乍らも幸せだった様に思います。
隙間だらけ
現在、快適な生活には運動不足と云うリスクが伴う様に、便利さを求める結果、心身共に虚弱になっていると感じませんか?

毎年訪れる年越しのゴルフ場は、殆ど高齢者で70代、80代の女性グループや夫婦同志だったりと、核家族の自由さを味わっている様です。

浴場でも高齢者同志は直ぐに会話が広がり、それぞれに息子や娘に来る様に云われるけれど、
行っても退屈で居られないし、家に来られたらこれ又、もっと大変なので此処に来るのが最高の楽しみ!! と、みんな同じことを考えていますね~と、ケラケラ笑い合う。

いつまで来られるかね~と云い乍ら。

これも今の時代に生きていられる幸せなのですね。

いつまでも自分の足で歩ける様に頑張りましょう。

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2018年1月5日金曜日

〝まんさく花 ♪ だより〟2018年 睦月

明けましておめでとうございます。

福島は例年より早い雪の到来で大雪に見舞われました。

大雪
お正月はその年の豊穣を司り、福を招くと云われる年神様をお迎えする日本の行事です。

かみ様の目印になる様、門松を立て家が清められた場所であることを示す注連飾りを飾ります。
年神様
ここ迄は昔からの習慣で暮れの28日に済ませ、農家さんに注文しておいたお餅と、夫の手造りの【いか人参】等を息子達や弟夫婦に送り、最後の掃除をしたら30日から3日間程、温泉のあるゴルフ場に行くことにしています。年に一度のご褒美で・・・・・・

栃木県さくら市【紫塚ゴルフ倶楽部】
家族が揃っていた頃は、おせち料理もすべて手造りをしていたのに、今は、そのエネルギーもなく、元日のおせちはホテルのプロが作ったお料理を存分に頂いて帰ってきます。

大晦日特別料理
伊勢エビの舟盛り

海鮮舟盛り
この様に豊富な食材に恵まれている環境に感謝ですね。

昨年暮れ、弟から嬉しい知らせがありました。

前回の〝花だより〟に書いた末期ガンはCT検査の結果、咽頭部、リンパ節、ともに完全消失とのカルテを見せられ、末期ガンでここまで回復するのは例がないとのこと。

何か服用しましたか?と聞かれたので、アボガドオイル(ミキエコー37)とプロティーンを続けたら食事が出来るようになったことを告げると、医師は考え込んでいたそうです。

ミキ食品の驚異的な素晴らしさを改めて感じさせられ、口から食べること大切さを思い知らされました。

今年も宜しくお願い致します。

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2017年12月2日土曜日

〝まんさく花 ♪ だより〟2017年 師走

75才の弟から中咽頭癌でステージ4の末期との知らせを受けたのは6月だった。

茨城に住む弟は最終的に筑波大付属病院で放射線と抗ガン剤注入を併用した治療を開始したとのこと。

2ヶ月程の治療で限度一杯であと治療法はないと云われ退院。

現在は副作用で喉の痛み、口内炎、全身被曝状態で頭から足の先まで吹き出ものと、強烈な吐き気と下痢で食事もとれない。

〝あとどれ位か想像できます。人間いつかはピリオドが打たれます。兄弟の順番は守れないかも知れないが悪しからず〟と私達姉3人にメールが届きました。

高校・大学と山岳部に籍をおき、卒業後は監督として後輩の指導に当たっていたらしく、世界中の山に登っていた。

私も自分の家族には中ばおどし乍らとり入れさせてけれど、兄弟までは説得がかなわなかった。

彼は体力にも精神力にも自信があり、ミキ商品には見向きもしなかった。

しかし、この健康運動を仕事として30年になる私は、苦しんでいる弟を何としても助けなければと、夫の強い要望もあり、ミキエコー37、バイオC等食べられそうなもの、流動食に入れられるものを送りました。

ミキ商品
その2週間後のメールには〝アボガドオイル(エコー37)、バイオCを毎日服用したら、あれ程ひどかった嘔吐感が全くなくなり、卵かけごはんが食べられる様になり、13㎏落ちてガタガタ状態だった体重が一週間で5㎏増え、下痢も止まりました。アボガドオイルは魔法の様に感じますと・・・・・

きっと弟は生きられます!!


 

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2017年11月1日水曜日

〝まんさく花 ♪ だより〟2017年 霜月

かねてからの念願だった福井・鳥取方面への旅を思い切って計画し、最終日は鳴門から高速を乗り継いで13時間かけ帰宅した8日間の旅でした。

福井の東尋坊を目指していた二日目、又ナビが不機嫌になり、今度は福井ヤナセにを探して訳を話し、点検して頂きました。

日曜日で来客も多く忙しい中を若い社員さんが時間をかけて見て下さり、何とか東尋坊に行く事が出来ました。
東尋坊奇岩
これからあと6日間、ナビが正常に機能くれることを祈りながら。

翌日は雨上がりの永平寺。杉の木立に靄が立ち込め何とも荘厳で、心から清められる何かを与えられた様な気がしました。

永平寺
人が大勢いるにも拘わらず静けさを感じられる永平寺でした。

永平寺参道
是非見たいと思っていた鳥取のお庭が美しい【足立美術館】は一個人がコツコツと美術品を集められ、拡大な土地に庭を配し、どの角度から見ても美しく時を忘れて眺めていたい程素晴らしい美術館でした。

足立美術館正面
その後、出雲大社に参拝し、ベンチで一休みしていたら、夫の携帯電話に福井ヤナセでナビを調整して下さった社員さんから〝ナビは無事に動いていますか?〟との電話が入り、まさかそこまで気遣いして頂けるとは思っていなかっただけに、夫は一旅行者に心からの対応をして下さったことに、深く感謝の意をのべていました。

出雲大社
出雲大社本殿
 今回も学ぶべき方々との出会いに感謝の旅でした。

幸せな日々でした。

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2017年9月29日金曜日

〝まんさく花 ♪ だより〟2017年 神無月

9月の或る日夕方、テレビのローカル板に青森の〝森のホテル〟が紹介され、何故か心ひかれて夫と行って見ることにしました。


ホテル正面
ゴルフパックで格安なのも魅力で。

青森まで直行するのは面白味がないので、途中山形の〝ダリア園〟で球根を注文したり、鶴岡の〝クラゲ水族館〟を経由するために、朝早く出掛けました。

米沢まで来たところでナビ設定しようとしても思う様に操作が出来ず、たまたま車を交換したばかりでの遠出だったため、ナビを使うのはこの時が初めて。


交換した車
営業の担当者に電話で指示してもらい乍ら操作しても目的地が出てこない。

完璧主義で人一倍せっかちな夫はイライラ状態。

近くのヤナセをスマホで検索して山形ヤナセに助けを求めた。

福島ヤナセとは全く関係のない別会社であり乍ら、とても丁寧に心よく対応して下さり、結局システムエラーでナビの不具合であったことがわかり、何とか〝クラゲ水族館〟と〝森のホテル〟の設定をして頂きました。

優雅に泳ぐクラゲ
常々感じていた通り、ヤナセは最高の人材を育成されていることを更に実感致しました。

こんな時間のロスがあり、〝森のホテル〟に到着したのは夜の10時半、途中から事情を話し、夕食には間に合わないのでおにぎりだけでも部屋に運んでおいて欲しいとお願いしておいたところ、洋食のフルコースを全部、部屋に用意されているのに又々感激。

部屋に運んであった食事
トラブルがあったお陰で、人の温かさに触れることが出来た旅でした。

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2017年9月2日土曜日

〝まんさく花 ♪ だより〟2017年 長月

お盆に帰省した長男がスマホで撮った孫の写真を見せてくれた。

中学二年生の孫息子が泣きながらハンバーグを食べている。

テニスの試合で高校生と対戦し、初戦で負けてしまったらしい。

自分の力を出し切れないうちに負けが決まり、何とも口惜しくて、その日は一日中ベットで泣いていたとのこと。

お兄ちゃんは負けても淡々として〝もっと口惜しがれよ!〟と言いたい位に諦めが早いと云うか切り替えが早いのに、同じ親から生まれて、同じ育て方をしていても、弟君はどうにもならない程、口惜しがっている。

しかし、この差は云うに及ばず口惜しさをバネにしている弟君は確かに強くなっているらしい。

一日の時間をうまく使って早朝のコートを予約して父親に指導してもらっている。

大学生になったお兄ちゃんは、すっかりテニスから足を洗って、スタバでせっせとアルバイトをしておこずかいを稼いでいる様子。欲しかったものを手に入れるため。

弟君も、プロを目指している訳ではないので、大学生になったらやっぱり同じ道を行くことになるでしょう。

〝どんなに辛いこと、悲しいことがあっても、泣きながら食べる人は生きられる〟新聞のコラムを思い出しました。

泣きながら食べていた孫はアッパレ! 口から食べ物を入れられなくなったら生きられないのですから。


長男のブログ【ためにならないブログ】から

前日の敗退から気持ちを切り替えて良いパフォーマンスが出来るか、はたまた切り替えられずに泥沼に沈むか。すべては本人次第である。

1ラウンド目。

ちょっと回復したのかな。少し表情が引き締まってるかも。 ここは無難にクリア。

2ラウンド目。
 
 
徐々にペースをつかんだか。気持ちも上がってきたか。
ここもクリア。

3ラウンド目。

ちょっとあやしい場面もありつつ勝ち上がった。
しかしよく飛ぶ男だ。 なんとか初日はクリア。少しは戻しただろうか。次はさらに厳しいはず。しっかり気持ちを持って戦おう。

因みに5年前の9月に里帰りしたときの親子で練習風景はこちら


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2017年7月31日月曜日

〝まんさく花 ♪ だより〟2017年 葉月

7月18日、【日野 原重明先生】が105歳の人生に終止符を打たれました。

3月中旬に体調を崩され、聖路加国際病院に入院されましたが、療養するのであれば是非ともわが家でとの強い先生の希望で、一週間後にはご自宅に戻られ、家族の配慮で庭がきれいに整備され、色とりどりの花や美しい緑が眺められる、リビングの大きな一枚ガラスの窓の前にベットが配置され、時には車椅子で移動して随筆をしたり、来客のお相手をされていた様です。

91歳から朝日新聞に週一回、「あるがまゝに行く」と云うエッセイを掲載されて今日まで沢山読ませて頂きました。

平成17年(94歳)には文化勲章を受章された時のエッセイには、日本の医学校の教育課程を一新し、看護師は医師の診療業務の補助をするよりも、医師のパートナーとして働ける様に格上げしたい。

その目的を達成するためには、100歳以上も長生きしないといけないと書かれていました。
日野原 重明先生
100歳の誕生日には、92歳の奥様への感謝の気持ちを記憶が衰えた妻を目の前にして、どう伝えようかとおろおろするばかりとか・・・・・・・

そして長年続けてこられた子供達への「命の授業」。ミュージカル。

最後のエッセイが7月29日に掲載され、聖路加国際病院は先生の心の故郷。

関わって下さった大勢の皆様への感謝と共に最後のお別れをしたいと思います。

本当にありがとうございました。

これで私からのメッセージを終わりにします。との最後の言葉でした。

御冥福をお祈り申し上げます。

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