2015年7月13日月曜日

アパホテルリゾート上越妙高と飛騨高山の旅

8日~12日までの5日間車での旅です。

初日と二日目は何度か訪れている、【アパホテルリゾート上越妙高】に宿泊ですが、初日は雨降りでせっかくのイルミネーションは窓からの鑑賞です。
アパホテルリゾート上越妙高
二日目、昨日の雨もすっかり上がり夫とゴルフを楽しむ事が出来ました。
上がりホールからのホテル
入場口から直ぐ緩やか上り坂に四季をイメージした光のトンネルが続きます。
四季折々の光のトンネル
夕食後120万個のイルミネーションの凄さに感動しました。
昇り竜
規模の大きさにビックリ!!
白色LEDが素晴らしい
そして妙高山々麓に沈む夕日が一層美しさを醸し出していました。
雲海と夕焼け
そして圧巻はウオーターショーです。

山中ある池を利用してのイベントです。
池に飾られたイルミネーション

ウオーターショーを動画にしました。

 
【三日目】
ホテルを9時頃出発し長野自動車道を使い、長野県安曇野市出身の彫刻家荻原碌山の【碌山美術館】へ。

碌山美術館
 ロダンの彫刻に強い影響を受け、躍動感あふれる作風により日本近代彫刻の扉を開いた荻原守衛【もりえ】(碌山)の、『女』『文覚』など全彫刻作品や絵画を収蔵する美術館です。
 
交友のあった高村光太郎、戸張孤雁[とはりごがん]、中原悌二郎[ていじろう]の作品も展示。キリスト教精神に生き、30歳で夭折した碌山を偲び、昭和33年(1958)に建設された本館は教会風のレンガ造り。庭の木立とあわせ、安曇野の象徴的風景として知られています。
森に囲まれた静かな美術館
荻原守衛は農家の五男坊として生まれ、10代で心臓病を患う、そして彫刻に専念する頃に【碌山】に改名する。

荻原守衛《女》1910 重要文化財
荻原守衛《女》1910 重要文化財
 
そこから約30分ほど離れた安曇野【ちひろ美術館】へ。
安曇野ちひろ美術館
絵本画家【いわさきちひろや】世界の絵本画家の作品を展示する美術館です。

木のぬくもりあふれる館内には、約3,000冊の絵本を自由に読める部屋や木のおもちゃで遊べるスペース、北アルプスを望むカフェ、ミュージアムショップも併設しています。
いわさきちひろ 母の日 1972年
 



【いわさき ちひろ】
1918年、雪の降る師走の朝に【ちひろ】は三姉妹の長女として武生町橘で生まれた。岩崎家は当時としては非常に恵まれた家庭であり、ラジオや蓄音機、オルガンなどのモダンな品々があった。父・正勝はカメラも所有しており、当時の写真が数多く残っている。こども向けの本も多くあったが、それらはちひろの気に入るものではなかった。ある時隣の家で絵雑誌「コドモノクニ」を見かけ、当時人気のあった岡本帰一、武井武雄、初山滋らの絵に強く心を惹かれた。ちひろは幼少から絵を描くのが得意で、小学校の学芸会ではたびたび席画(舞台上で即興で絵を描くこと)を行うほどだった。
 
【いわさき ちひろ】二度結婚しており、最初の夫は結婚後1年ほどで自殺している。二度目 の夫は、共産党員として知り合った元国会議員の松本善明氏であり、彼との結婚生活の中でちひろの画業が花ひらく。
 
子供の愛らしさと生命感をみずみずしいタッチで描き出す、【いわさきちひろ】の世界。没後30年を数える今も多くの画集が出版され美術館を訪れる人は絶えない。
安曇野ちひろ美術館公園
昼過ぎネットで調べておいた庭園そば処【みさと】へ、1時前到着。

庭園そばどころ【みさと】
残念な事に仕込んだ本日分の材料が終了との事で、食する事が出来ませんでした。

見事な庭園をご主人が手入れをされていて、遠くからお出でになったのにと女将さんからお詫びの言葉を頂き、本日の目的地野麦峠を通り飛騨高山へ。

見事な庭園
今夜の宿泊地、【ホテルアソシア高山リゾート】到着。

このホテルは夫が以前【大人の休日倶楽部】で泊まったホテルで、連れて来たかった様です。
ホテルアソシア高山リゾート


高山市郊外の高台にあり、掛け流しの天然温泉が旅の疲れを癒やしてくれます。

今夜は飛騨高山牛を二人で一皿を追加して、その美味しさに感動・・・・

追加の飛騨牛ステーキ
部屋も広々で豪華でした。
宿泊
広々としたツインルーム
【四日目】
車をホテルに置いて、ホテル⇔高山駅間のシャトルバスで高山駅へ。

高山の古い町並みを散策。

朝から太陽が照りつけ非常に暑く、町並みを流れる宮川の清流には鯉が気持ちよさそうに泳ぎ、水遊びする子供達の気勢が飛び交い、毎日開かれている朝市には観光客が大勢訪れていて大変な賑わいでした。

宮川朝市

輪切りにした桐の木の空洞に

その場で【さるぼぼ】の人形などを飾り付け

お土産品テントを見つけ足止め。

魔除けとして購入。
飛騨高山のお土産屋さんやガイドブックで必ず目にする「さるぼぼ」。
飛騨地域では、昔からこどもが健康に育つためのお守りとして大事にされていました。

飛騨弁で「あかちゃん」や「お人形」のことを、「ぼぼ」「ぼぼさ」と言います。

今でも、親戚の赤ちゃんが生まれたという報せに対し、「ぼぼみに行こう」(赤ちゃんを見に行こう)というように使われています。

散策を続けながら櫻山八幡宮(国無形重要文化財)へ。
櫻山八幡宮
更に散策を続け、唯一原型のまま残っている高山陣屋方面へ。
 
途中、テレビで放映され有名になった【おわら玉天】を探しあてる。
お店の陽気なおばさん
宮川に掛かる赤い橋は有名で、そこを渡った所が高山陣屋です。
中橋(鍛冶橋)
充分町並みを散策し、途中飛騨牛のにぎり寿司を堪能してからシャトルバスでホテルに駐車させて頂いた車へ。
 
ドアーを開けた瞬間熱風が吹き出し、全ドアーを開け暫くしてから世界遺産白川郷合掌集落へ。
 
ここも連れて来たかった所の様でした。
世界遺産白川郷合掌集落
昨夜インターネットでホテルから予約をしてくれた魚津市ホテルに向かう途中、五箇山合掌集落【勇助】立ち寄る事に。
 
ここも夫が一人旅で二回ほど訪れ、ご主人の池端 滋さんと交流が続いているため、私を紹介する事の様でした。
 
福島名物薄皮饅頭をお土産に持参していたがこの暑さで心配になり、高山の【おわら玉天】を予備に購入して訪問したが大丈夫でした。
民宿【勇助】
夕方、6時過ぎ到着。

今日は土曜日の為、宿泊の予約でいっぱいでその準備に追われながらも抹茶を入れて頂き、今夜の宿泊地魚津市へ。

【五日目】
新潟県弥彦神社に参拝後、寺泊漁港で海鮮料理を頂き帰宅。

弥彦神社
総走行距離1200㎞でした。



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2015年3月19日木曜日

三月のお料理会

17日から気温がどんどん上昇し5月頃を思わせるような18日、三月のお料理会を開催。

今回は遠く会津若松市より二名の参加もあり、とても楽しい一日になりました。

 




2015年3月12日木曜日

【たくさんの花に囲まれて!】

3月10日は78歳の誕生日。

息子達をはじめ、仕事仲間からのお祝い花が届き、今年も幸せな一年になりそうです。
豪華な花々
1937年3月には、こんな事がありました。
四谷の駄菓子屋で5銭の板チョコ4枚を買った時に支払った5円札が、透かしがなく偽札と判明  し、翌日の新聞に掲載された事で次々と被害が報告されました。

その他、浅草・四谷・本郷・埼玉・千葉等でも発見され 、5円札をお断りする店も出たようです。    



    
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2015年3月5日木曜日

【別かれと出会いの季節】

人間誰しも、出逢いがあり別れがあます。

この世に生まれ家族との出逢いに始まり、人は生きている上で本当に沢山の人と出逢いそして別れを繰り返していきます。

世界には70億人という人々いて、生きている間に出逢える人っていったい何人いるでしょう。

出逢わない人の方が圧倒的に多いことに気付くはずです。

あの時あの場所に行かなければ出逢えなかった人、出逢わなかった事もあったでしょう。

今、母と父の間に生まれたからこそ経験できた事、生まれなかったら経験しなくてよかった事もあったはずです。

良い出逢いも悪い出逢いにも、その出逢い一つ一つにちゃんと意味はあるものなのです。

あなたの前にその人が現れたという事は、何かをその人から学ぶことを命じられているのだと思います。

或いは以前に自分が犯した過ちを見返るチャンスをくれているのかもしれませんね。
    

 
    仰げば尊し歌詞と意味
       ① 仰げば尊し 我が師の恩 
                                       (見上げ見るほど尊きは 私の師への恩)
       教えの庭にも はや幾年 
                                       (この学びやにきて もう幾年もたった)
       思えばいと疾し この年月
                                       (思い起こせばとても早くかんじた この年月よ)
       今こそ別れめ いざさらば 
                                       (今、お別れ申し さようなら)

       ② 互いに睦し 日頃の恩   
                                       (互いに仲の良かった(友の) 日ごろの恩)
        別るる後にも やよ忘るな
                                       (別れたあとも わすれてはいけない )
        身を立て名をあげ やよ励めよ
                                       (身をたて、名をあげ なおもそれに励め)
        今こそ別れめ いざさらば 
                                       (今、お別れ申し さようなら)
  
        ③ 朝夕馴れにし 学びの窓
                                       (朝、夕ともにし慣れ親しんだ 校舎(学校に関連するものすべて)
         蛍のともしび 積む白雪
                                       (蛍のともしび(小さな光が) 積む白雪(白雪のように積もってゆく)
         忘るる間ぞなき ゆく年月
                                       (忘れることなどないだろう 過ぎし日々)
         今こそ別れめ いざさらば
                                       (今、お別れ申し さようなら)

    
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2015年2月18日水曜日

二月のお料理会

昨年2月14.15日の大雪を思わせる様に、朝からの雪降りで開催が心配されたが、昼近くになりその雪も小降りなり安堵しました。

会津地方や日本海方面では大雪となっています。

        ・ 大根のシャキシャキサラダ。
      雪の中に(夫の菜園)埋まっていた甘い大根のサラダを特製ドレッシングで。
サラダ
・ ピーマンの嫌いな人でも食べられるジャコ炒め。

ジャコ炒め
・ 牛肉を贅沢に使ってのハッシュドビーフと白菜をストーブでトロトロに煮た豆乳スー
    プ。
ハッシュドビーフ&豆乳スープ
・ 美味しい白菜の漬け物を持ち寄ってくれました。
持ってきて頂いた白菜の漬け物
 
 先日仕事で移動の道々、車の【ラジオ】から子守歌の話が流れ、昔の娘さん達多くはこんな辛い気持ちで子守をしながら歌っていたとか。
 
日本の子守唄には、親が歌うのでなく、幼くして【口減らし】として売られ、故郷を離れた子守り娘が歌ったものも多い。これらは彼女らが自分の辛さを歌ったものゆえ、歌詞も曲調も暗いものとなりがちであり、中には恨みをぶちまけたり、世間を辛辣に皮肉ったものなども散見すると。
子守娘
子守唄の歌詞には、「眠らぬ奴は頭叩く」や、「まな板のせて青菜のようにジョキジョキと」というものもあるそうな・・・・・・・
 
親兄弟が赤ちゃんを背負って口ずさんだ【子守歌】は・・・・やはりこの歌詞で貧しいながらも何処か温かみが感じます。
 
               ねんねんころりよ おころりよ
               ぼうやはよい子だ ねんねしな
               ぼうやのお守りは どこへ行った
               あの山こえて 里へ行った

               里のみやげに 何もろうた
               でんでん太鼓に 笙の笛





             
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2015年1月19日月曜日

ミキグループ青葉新年会

第32回青葉新年会が郡山ホテル ハマツで開催されました。

毎年青葉代表;篠崎 準さんを中心に三班編成で行われ、その第一班は約900名の参加で会場は超満員でした。

オープニングは、生田流 箏曲 宮城社教師 村澤 丈児氏の演奏が広い会場一杯に鳴り響き第一部の幕開けでした。


本社挨拶に続いてプログラム通り進み、ホテルご自慢の美味しいお料理の昼食ですっかりご満足でした。


第二部は青葉代理店総勢約50名による舞踊からの始まりです。


その後、宇田川 久美子 先生をお呼びしてご講演を頂きました。


ご講演後、恒例のお楽しみ抽選会に入り、豪華賞品を目当てに約900名の参加者が大興奮の渦です。


青葉グループ代理店全員で記念撮影です。


第二班は1月23日(金)第三班は1月24日(土)に開催されます。

    
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2015年1月15日木曜日

松送り

松の内も比較的穏やかな天気に恵まれ、昨年の締めくくりとして飾り付けた神飾りを外して、近くの日本三不動の【中野不動尊】 へ納めに出かけて来ました。
神飾り


取り外した飾り物を中野不動尊の【納め所】へ


納め所から右方向に進むと不動滝があります。


さらに境内を散策すると小さな湿地があり、水芭蕉が芽を出しています。


安堵の釜を通り過ぎ、竹と杉が聳(そび)え立つ参道に出て、木製の階段を上り切った右側にお休み所があり、大きな薪ストーブが冷えた体を温めてくれます。


松の内正月の期間を、松の内(まつのうち)と呼び、では松の内はいつからいつまでかと言えば、一般には1/1~1/7とされます。
正月の七日の朝に食べる七種粥(あるいは、七草粥とも)が、松の内の最後の行事と言えそうです。


門松を片付ける日は?
松の内」という呼び名は、正月に迎え入れる年神(としがみ)の依り代である門松のある期間の内ということです。
では、門松を何時外すのかといえば、普通は六日の夕方ないしは七日の朝とするところが多いようです。
地方によっては1/15まで門松を飾る地方もあり、こちらの方がより古い時代の姿をとどめたものです。

では1/15まで飾られていた門松が、現在のように 1/7には片付けられてしまうのはなぜ?
それは、振袖火事と呼ばれた明暦三(1657)年の大火の教訓からです。

冬、乾燥して燃えやすくなってしまっている松飾り等を何時までも飾っていると火災が発生した場合、延焼して火災被害を拡大するもとになりかねないことから、松飾りを早め( 7日)には片付けてしまうようにという町振れが寛文二年(1662)年に出されたことによるそうです。

ちなみに、松を取り払う日を「松上がり」といい、取り払う行為を「松送り」とか「松納め」と言うそうです。

今年の幸運を願っておみくじを引いてみた所、【大吉】と出て又良いスタートが切れそうです。

                 思う事 思うがまヽに なしとげて 思う事なき 家の内哉



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